作家鷺沢さんについて印象に残ったことをつらつらと


by hazakura23
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2004年も残りわずかとなりました。
なお、ここで付け足し。
1991年にドラマ化されたのは、作品、ショートストーリー(小説)『海の鳥・空の魚』の最後を飾った、『卒業』でした。
重ね重ね混乱したことを申し上げてすいません。
やはり記憶を辿ることを頼みにするとこういうことはよくありますね。

ということで、『海の魚・空の鳥』は、ショートストーリーの集まりです。
もちろん文庫にもなっています。(角川文庫から)
だから手軽ですよ。
そのあとがきに、鷺沢さんは、
「どんな人にも光を放つ一瞬がある。その一瞬のためだけに、そのあとの長い長い時間をただただ過ごしていくことができるような。一瞬一瞬の堆積こそが人の人生なのだと言われれば、それを否定することはやはりできないけれど、うず高く積まれゆく時間のひとコマひとコマ、その全てを最高のものに仕立てあげるのはとても難しい。難しいことだから、「うまくいった一瞬」が大切なものになるのではないだろうか。…」
とあります。
20代前半に綴られた作品のあとがきを読むと、私から見て、また遠い存在に戻ったような気がした。
しかし、時間の堆積っていうのは、今は判る。
毎日最高で最高で幸せで過ごせるはずがない。
何気ない日々の嫌なことも、退屈なことも、しょうむないこともあって、その向こうに新しい自分が、その瞬間を待っているわけではないけど、やはりそうであってほしいし、そういう瞬間が来たら、心の底から、身体一杯使って喜びを表現したいと、思うであろう。
それがキスかもしれない。

鷺沢さんが、高校時代に「文学界」新人賞を獲得したのは、以前にも更新しました。
そんな鷺沢さんの高校に是非行ったみたい、そう思いました。私の20代前半に。
一昨年でしたか、高校野球で夏の東東京大会を制し、見事初出場を果たし、初戦があのPL学園だった、都立雪谷高校、その学校です。
鷺沢さんがどんな風景を見て、風を感じ、どういった場所で過ごし、そのような作品が誕生したかを少しでも触れたくて、訪れてみたいと思いました。

誰しも原点になった場所があります。
前回更新した『素晴らしき仲間』の最後のシーンは多摩川を夕暮れにたたずむ鷺沢さんでした。
そして、エンディング曲は『Bule Sky』でした。
らしいね。。 
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by hazakura23 | 2004-12-24 19:27

1991年4月28日(3)

いよいよ本題へ。
1991年4月28日、日曜日のお話にいきます。
何故よくこの日を憶えているか、二日前の4月26日が金曜日で、私の父の命日であり、玄関に出ようと思ったら、思いっきり頭をぶつけてしまった、背が高いもので、目から星が出たとは大袈裟ですが、痛かったから、憶えています。
翌日、4月27日は土曜日、現在のように週5日制ではなかった、高校3年生の私でしたので、この日は日直だったと記憶しています。3年になって初めての。

そして、4月28日、日曜日。
朝から新聞のテレビ欄を見ていた訳でもありません。
ふと気付くと、今夜10時から、鷺沢さんがテレビの番組に登場するではありませんか。
あ、これは永久保存版だと思い、ビデオのセットの準備をしようと思いました。
関西では、毎日放送4チャンネル、東京では、TBS、制作は中部日本放送と言えば、名古屋のCBCになるのでしょうか。
『素晴らしく仲間」というタイトル名だと記憶しております。
10時から、待っていました。
ところが、その夜は、野球放送が延長し、ビデオは勿論今のように、スポーツ放送延長だからと言って、対応してくれることもなく、30分待ちました。10時になると案の定、前時間帯の番組「東芝日曜劇場」にテロップが出て、開始が30分遅れるとの表示がありました。

ようやく待って、10時30分になり、原稿を書いている、鷺沢さんが登場しました。
鉛筆を走らせている姿は流石に作家だと思いました。
30分じっくり見ることが出来ました。
外で夜中、ファミリーレストランで原稿を書いている様子や、そのときの話。そん中で「葉桜の日」に収められているもう一つの作品「果実の舟を川に流して」の店の名前「パパイヤボート」を、ファミレスのメニューの名前からとってことや、上智大学に当時通っていたのを、中退しようとしていたこと、そしてこれから向かう方向は考え中との話もありました。
また、「少年たちの終わらない夜」に収められている「ユーロビートじゃ踊れない」の誕生した、バーでお酒を飲んでいましたね。
賭け事もしていたな。「町に出よ…」にも登場する、罰ゲームありのトンでもない飲み物を競ってやってましてね。
生の声、そして姿を拝見し、本当に嬉しかった。
作品を手にとって、すぐに拝見できて、幸運だと思った。
「帰れぬ人びと」の収められている「かもめや…」の舞台となった実在するお店も紹介されてました。
実際は中には入ったことがなく、高校時代帰り道の反対の電車の駅でふと降りてあるいていると何とも言えない雰囲気のお店があり、昔懐かしいそこを訪れるシーンもあり、想像していた部分とだぶっていたと話されてました。

1991年2月のカレンダーが部屋の壁にかかっていたので、収録はそのころでしょう。
そして、ラジオたんぱの就職支援番組にも出演され、その収録場面が登場しました。
ラジオだから、収録シーンは見られないですね。たばこはすぱすぱ吸っていたな。
中・高校生女子に人気がある作家、女子大生作家で、最年少で文学界新人賞でしたから。(当時)

今でも忘れられないこの日でした。
ビデオ撮ったのですが、もう13年以上前のことです。
それ以降見ることなく、お蔵入りになったようです。

やはり応援する人の、実際の姿をテレビとは見られてよかった。
本当は生でお会いできればどれほどよかったか。
とっても元気な人で、七転び八起き、ご自分でも、私は
「転んでもただじゃ起きない」と言っておられました。
お父様のことにも触れておられたシーンがありました。
だから、この更新をしながら、本当に亡くなられたことが不思議でなりません。
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by hazakura23 | 2004-12-19 12:39

2004年を振り返る

本当に更新が途絶えてしまって申し訳ございませんm(__)m
メッセージを頂いていることにも気づかず、全く反省しきりです。
来て下さっている方々に、大変恐縮しております。
どうかこのページも見捨てないで、長い目で見守ってくださいませ。
皆様のお越しがあって、すべてが成立しているのですから。

さて、前回のお話、私から謝らなければなりません。
「1991年4月28日(2)」で、鷺沢先生の作品がドラマになったと申し上げました。
1991年3月のことですが。
その作品のタイトルが「町に出よ キスをしよう」と書きました。
それは間違いであることに本日気がつきました。
全く何とお詫びしてよいやら、すいませんm(__)m
正しくは、「海の鳥 空の魚」に収められている作品からです。
「町に出よ キスをしよう」はエッセイ集です。
小説ではなく、これじゃノンフィクションがドラマにされるのもおかしな話です。
刊行されたのが同時期だったのと、それとかなり昔の記憶を辿ったのが、原因です。
過信しておりました。原作を確認してから、更新しないとと。
反省しております。申し訳ございません。m(__)m

さて、2004年を振り返ったとき、鷺沢先生が亡くなられたことは、私の中でも大きなニュースの一つです。私の中での十大ニュースです。
残念で仕方がない。何故との思いが今もあります。

おふぃめめの日記が更新されないことは本当に寂しいです。
実際に生で見たことがなかったし、余計悔やみます。

「2001年4月28日」第三回では、必ずや私の思い出も入ってくると思います。
テレビでですが、鷺沢先生を拝見出来たことは、偶然ではないと、今も思います。

年内にその更新を必ずすることを約束して、今日は終わりにします。
ありがとう。鷺沢先生。
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by hazakura23 | 2004-12-18 23:00